万葉集にも詠まれた、丹後の藤織り(丹後藤布)
50年ほど前に、先代のご主人が始められた藤織りを、奥様と娘さんが親子で、女子ならではの目線で復興に努めておられます。小西暢子さんは、京もの認定工芸士。さらなる技術の向上と、技術の継承、人材育成を目指されています。
京都府北部、与謝野町の藤織り工房「芙留庵(ふりゅうあん)」におじゃまして、代表の小西暢子さんと、お母さまの加畑久子さんにお話を伺いました。
山に自生する藤の蔓(ツル)から取り出した繊維を紡いで、織り上げられる藤織り。古くは弥生時代の遺跡からの出土例もあるほど昔から、人々の普段着として全国各地で織られていました。ところが、江戸時代の中ごろから木綿が普及するようになると、やがて次々と姿を消してしまいました。
そんな中、全国でもほぼ唯一、京都府北部の丹後半島、宮津市世屋地区では、「のの」(藤布)と呼び、女性たちによって藤織りが継承されていたため、京都府無形民俗文化財の指定を受け、女性たちから伝統技術を直接学ぶ「丹後藤布振興会」も発足して、その技術継承が図られるようになりました。京もの指定工芸品にもなっています。

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藤織りは、まず糸をつくります。藤の蔓を採取し、木槌などで叩いて皮をはいで、アラソと呼ばれる繊維質部分をはぎ取ります。それを、水に浸して柔らかくしてから数時間灰汁(あく)炊きをし、不純物などを落として乾燥させます。さらに、糸に適した大きさに繊維を裂いて一本の糸にしていきます。
糸は、糸車を使って撚(よ)りをかけ、より強い糸にします。そして機織りができるように整経して、ようやく、織りの作業へと入る準備が整います。
藤布を織る
一本の糸にするまでの仕事は、別の職人さんにお願いされているとのことですが、それにしても、この気の遠くなるような作業工程、地域の方々の努力があればこそですねぇ。
「けど、藤の蔓を取りに行ったり、繊維として加工する職人さんも少なく高齢化しているんですよ。何とかしないと」と、状況は、なかなか厳しいようです。
お父様が立ち上げた「芙留庵」では、糸づくりからの技術を継承されて、「帯地」として織り上げて商品化されています。
1つの反物とするのに、どれだけ順調な作業をしても織るのに3日。
織るといっても、藤の糸は乾燥に弱く、途中で切れないように、整経作業も織りも水を含ませながら。そして、毛羽立ちを防ぐために霧吹きしながらの手織り作業。それを乾燥させて製品に仕上げます。
気軽に手に取って欲しい
先代の時代から、藤織りを使った小物も少しずつ作られていました。信玄袋など、とても上質な製品ですが、やはり高価で、伝統的な和風の製品が中心で、ちょっと購入のハードルが高い感じでした。「使えば使うほど味わい深くなっていくんですけどねえ~」と、お母様の加畑さん。
小西さんが事業を引き継がれてからは、「藤織りを日常的に使えるように、女子目線でポシェットや名刺入れを試作して展示会などで展示しています。藤織りは手間ひまがかかるので、どうしても高価になってしまいます。それに今は注文分を織るだけでも精一杯なのが現状です。」とは言え、「やはり、もっと多くの方々に、丹後の藤織りの良さを知っていただきたいです。日常でも使いやす小物なども、もっといろいろデザインし、『丹後の藤織り』の魅力、歴史やストーリーもしっかり伝えられる工夫をしたいと思っています。」とのこと。
全国古代織連絡会の展示会で販売
「全国古代織連絡会と言うのがあります。沖縄・奄美の芭蕉布、静岡の葛布、山形のしな布などが集まるグループなんですが、そこの販売会で、うちの小物類も販売しているんですよ。だいたい年1回なんですけど」
どの産地も自然と共存し自然を大切にされているんでしょう。「新製品とともに、もう少し、みなさんに買ってもらえる機会を増やしていきたいのですが」と小西さん。
古代の昔から織り上げられ、自然に優しい、どこかあったかい感じの丹後の藤織り。次世代へもしっかりつなげてもらえるよう、応援していきたいと思います。