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2016年09月20日 | ちーびず ちーびず製品
途絶えた地域産業、相楽木綿を今に復元するための取り組み
この記事に登場するちーびずさん
福岡 佐江子さん(相楽木綿伝承館)
福岡 佐江子さん(相楽木綿伝承館)一度途絶えた相楽木綿の啓蒙や体験の提供などの活動を継続的に行っておられます。
田中 智子さん(相楽木綿伝承館)
田中 智子さん(相楽木綿伝承館)一度途絶えた相楽木綿の啓蒙や体験の提供などの活動を継続的に行っておられます。

京都府内で着物や織物の産地といえば、京都市内は言わずもがなですが、その他の地域で挙げられるのは丹後だと思います。ですが、手織り木綿の産地として明治から昭和10年代にかけて丹後に並ぶ産地が京都府内にあったのをご存知でしょうか?

相楽郡相楽村(さがなかむら)です。

相楽村は奈良県との県境にあたり、現在の近鉄高の原駅の北側付近に位置していました。この相楽地区で作られていた木綿織は「相楽木綿(さがなかもめん)」と呼ばれ、地域の基幹産業だったのです。

今回は、戦後機械織りが主役となった為に長きにわたり途絶えていた相楽木綿の復元・伝承活動に関する取り組みを、けいはんな記念公園内の相楽木綿伝承館さんで取材しました。

 

相楽木綿とは

相楽木綿の特徴。


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全国に紺絣の産地はありますが、相楽木綿は深い紺に絣(かすり)とカラフルな色糸を織り込んだモダンで華やかな印象が特徴です。この色糸には明治期に産業革命の流れを受けた紡績糸・化学染料をいち早く使った経緯があり、モダンな印象はこの辺りから発生しているものかもしれません。

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また、大和機(やまとばた)という独自の伝統織機で伝統の技術を使って織り込む生地は、しっかりとしていながら風合いのある、独特の柔らかい印象を受けます。

 

途絶えてしまった文化


現在、相楽木綿伝承館には体験用、改良機(ちょんこ機)を含め、10台が伝承者育成などの目的で置かれています。ところがこれらは全て山城郷土資料館に残っていた資料を元に再現されたもので、オリジナルのものではありません。この大和機は奈良を含む大和地域全域で使われていたのですが、機械織りの普及とともに一旦途絶えていまっていたのです。

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途絶えてしまっていたのは大和機だけではありませんでした。

もともと、相楽が木綿生地の産地となったのには、この地域が綿の産地だったことと密接な関係があります。ただ、この地に綿の産地としての当時の面影は今は見ることができません。

糸を染めるための染め屋さんも地域には残っておらず、織りこなしが難しい大和機を使いこなせる人も、絣の技法を今に伝える人も途絶えかけていたのです。

福岡さんを初めとする「相楽木綿の会」さんの活動はそんな状況下で始まりました。

 

20年に及ぶ活動の末に復活した相楽木綿

今回「ようやく着れるもの(を作れる)まで来ましてね〜」と語りながら取材対応いただいたのは相楽木綿伝承館の福岡代表と田中さん。

 

20年に及ぶ活動


福岡さん

福岡さん

田中さん

田中さん

福岡さんがこの活動を始めたきっかけは、家にあった相楽木綿に魅了されたことや織元さんとお知り合いだったこと、相楽木綿の資料を収集し後世に残す活動を続けてこられた方とお会いになられたことなどでした。

織りの勉強からスタートし、相楽木綿の研究を徐々に進め、そして2005年に「相楽木綿の会」を立ち上げ、聞き取り調査などを進めていったたそうです。田中さんはその頃メンバーに加わります。

 

今しかない!


当時は相楽木綿に関わってこられた方への技法や工程の聞き取り調査が、何とか可能なタイミングだったようで、「今しかない」という想いで取り組んだと言います。

とは言っても実際に相楽木綿を織られていた方でご存命の方は皆無で、「近くで見ていた方」や「お知り合いがお仕事をされていた方」からの聞き取りがやっと。唯一、絣をくくる※仕事をされていた方で聞き取りが可能だった方が当時99歳。「本当にギリギリのタイミングだった」そうです。

※絣の柄を出すために行う作業。染める前の糸を、絣の柄に該当する部分だけ防染するために糸でくくる。

現在では亡くなられた方も多く、聞き取り調査が難しい状況にあるそうです。高度な技法が伝承されなかった可能性のことを考えると、地域の為の活動もタイミングを逸すると取り返しがつかないこともあるのだと思ってしまいます。

 

地道な活動が花開く


061a6813当時「聞き取りの鬼」のようだったと語る福岡さん・田中さん。結果、既存資料に関しては「技法的には全て解明できました。」と言い切るほどに今では相楽木綿の技法について精通しておられます。

そうして活動を続けるうちに2008年、京都府の地域力再生の提案コンクール「京のチカラ、明日のチカラコンクール」で優秀賞を受賞、大和機の復元や「相楽木綿伝承館」の開設につながったのです。

 

今後。相楽木綿を復活させる取り組みの中で

伝承者の育成のために。「ちょうどいい加減」は調べても出てこない。


現段階の相楽木綿伝承館、相楽木綿の会さんの主な活動はその伝承者の育成にありますが、その際大事にされていることがあります。

相楽木綿を織る為の大和機は一般的な織り機に比べると織りこなしが難しく、実際に伝承者となるためには「初級」「中級」「上級」とステップを踏み、長期間のトレーニングの必要があるそうです。

 

それは前述の大和機の使いこなしが難しく、少しずつ慣れていくしかないからなのだとか。あえて利便性を追求せず、大和機を使うのは、その中で、「ちょうどいい加減」のテンションを自分で見つけてもらうことを重要視されているからなのです。独特の柔らかい風合いはそうやって生まれます。

「不便益」という言葉がありますが、調べても絶対に身につかない「ちょうどいい加減」の感覚を身につけること、そういった感覚の大事さを知ることは確かに便利すぎる世の中では大切なのかもしれないですね。

相楽木綿作りの各工程を学び、体験する中で、いろんな所で失われつつあるそういった感覚を見直すきっかけとなれば嬉しい、という福岡さん・田中さん。相楽木綿に向き合い続けてきたからこそ、その大事さを伝えたいという想いを感じました。

綿の可能性


伝承されている相楽木綿は紡績糸を使うため、綿の使用はありません。

ただ、地域的な背景として、もともと綿の栽培の文化がある土地に生まれた相楽木綿。綿を育て紡いで糸にして布を織る綿文化を継承していきたいという想いも強くお持ちです。

こちらの方は「誰かと一緒に取り組んで」のが現状だそうです。そのため、今後府内の方々とのコラボレーションもあり得るのかもしれません。

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つながりの場として


相楽木綿伝承館では、相楽木綿の啓蒙や体験の提供を継続的に行っておられます。また、ワークショップなどの開催では地域の方の集まる場にしていきたいとの想いをお持ちです。

相楽木綿伝承館で販売している相楽木綿の小物。

相楽木綿伝承館で販売している相楽木綿の小物。

相楽木綿伝承館のある「けいはんな記念公園」は日本の文化・自然をテーマに設計された広い庭や自然が魅力。僕は失礼ながら全くこの公園のことを存じ上げなかったのですが、のんびりするにはいい場所だと思います。家族で相楽木綿伝承館を訪ねていただき、記念公園で一日を過ごすのも良いのではないかと思います。

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終わりに。

複雑に並ぶ緯絣を一本の緯糸で作るような複雑な技法を使う相楽木綿。そんな相楽木綿が知的好奇心をくすぐる研究対象というのは個人的には非常に理解できます。調べれば調べるほどその技術の意味が解ることや、新しい発見があることは多分楽しい。

とはいえ、、、、膨大な資料の布の一つ一つをルーペで覗き、聞き取り調査を行い、制作方法の仮説を立て、立証する、、、、、

今、「新しい復元資料が出てきたので、また調査しないといけない」と楽しげに語るお二人に、少し畏怖の念を覚えました(笑)。

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この記事のちーびず団体

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福岡 佐江子
福岡 佐江子
井上 淳
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いのうえと申します。二代目ちーびず推進員の一人ですが、推進員の中でも下っ端を自負しております。お仕事は幅広くデザインのことをかじっております。両親は九州と中国地方出身、私は京都府出身京都市在住。実は、遊牧民のような出自のせいか、京都府各地のことはよく知らないことばかりなのです。。。